こんにちは、心理カウンセラーのヒロです。
幼少期のいじめや、中2で拒食症、高校は進学校だったため受験のストレスなど、
結構大変な10代を送って、生きづらさを感じていました。
今のままの自分ではだめだ、今のままの自分では十分ではないという思いが
いつも思考の奥底にあったように思います。
念願叶ってオーストラリアに留学するも、ストレスからうつ病を発症。その時に初めて
カウンセリングを受け、週1回のカウンセリングの時間がその当時のギリギリの自分を
繋ぎ止めていてくれました。
その後、結婚、離婚、再婚、出産、そして産後うつとなり、約12年の鬱を経験。
投薬やカウンセリングにより、時間はかかったものの、鬱を克服できました。
現在は思春期真っ只中の子供二人と猫1匹とで暮らしています。
過去の私のように生きづらさを感じている方々、
アダルトチルドレン、HSP、愛着障害、子育ての悩み、自己肯定感が低い、不安症、
人間関係の悩みなどを抱えている方を対象に、
もっと楽になっていただきたい、未来に希望をもって欲しいという思いで、
カウンセリングをやっています。
もう少し詳しいプロフィール
こんな自分じゃだめだと思っていた学生時代
父親がとても厳しく気分屋だったため、いつ怒られるかといつもビクビクしていました。
鼻炎のため耳鼻科に通っていましたが、
父が運転する車の助手席に座っていて信号待ちをしていた時に、
「ぼーっとしてないで、車が来ないか見とかんかあ!」
といきなり怒鳴られたりもしました。
そんな父を怒らせないように、常に父親の顔色を見て育ちました。
5歳くらいの頃、誕生日が偶然同じで大好きな幼馴染に今日は遊べないと言われたました。
ですがそのすぐ後に、その子が別の子と遊んでいるのを見つけ、
私のことを大好きでいてくれると思っていたのに
本当はそうじゃなかったんだと、とても悲しかったのを覚えています。
今思うとそれがきっかけで
友達を作ることが怖くなったのだと思います。
小学校に入ってからも、引っ込み思案な性格のため、
自分から友達を作ることができず、
遠足の時も一緒にお弁当を食べる友達がいない。
恥ずかしくて、悲しくて、
誰にも見つからないように一人でこっそりとお弁当を食ている
そんな目立たない静かな女の子でした。
小5の時、クラスの子みんなからのいじめ。
誰も私と話してくれず、
給食の時に私が配膳係の日は誰も食べてくれなかったり、
鼻炎のことで笑われたり。
どうして嫌われたのか、どうしたら普通に仲良くしてくれるのか、
親にも先生にも相談できずに一人でずっと耐えていました。
自己肯定感が低くて、
こんな私はだめなんだと思ってました。
なので、中学に上がり、せっかくできた親友とも、
私なんかと友達だと不幸になるから
という勝手な思い込みから、
交換日記もやめ、自分から疎遠になりました。
進学校だった高校では、いくら勉強しても思うような成績は取れず、
中学ではトップの成績だったため、
高校の担任の先生には怠けて勉強してないんじゃないのかと誤解を受け、
内向的な性格のため、友達もできず、
こんな自分じゃだめだという気持ちがますます強くなっていきました。
留学後ギリギリの精神状態に追い込まれる
就職後お金を貯めて
念願だったオーストラリアに留学しました。
日本の大学とは全く違う海外の大学院。課題の量は半端ではなく、
英語も日常会話はできていたものの、実際の講義では聞き取りが難しい時もあって
内容がうまく理解できなかったりと、かなり苦戦しておりました。
そんな中、大学の教授からは”君はこのクラスで学ぶ基礎ができていない、
ここに来たのは間違いだった”と言われて、
奈落の底に突き落とされたような気がしました。
留学したのは間違いだったのかと
ただただ毎日が苦しく、
うつ病を診断されました。
クラスメイトとも打ち解けることができず、
一人孤立していきました。
勇気を与えてくれたカウンセリングのおかげで
大学院を卒業できた
オーストラリアに着いたばかりで頼れる人もおらず、食事も喉を通らず、
どうしたらいいのかわからない日々を送っていました。
その時初めて大学内のクリニックにてカウンセリングを受けることに。
カウンセラーさんに話をすることで、
少しずつ落ち着いていくことができました。
私のことをジャッジせず、
ありのままの自分を受け入れてくれたカウンセラーさんとの時間は
私を少しずつ安心させてくれ、
なんとか頑張っていこうという勇気を与えてくれました。
辛い日々の中、週一回カウンセリングルームにいく時だけが
私の心の救いでした。
カウンセリングを受けていなければ、
大学院を卒業することはできなかったと思います。
産後うつと夫との別居でどん底を味わう
その後坐禅の講座で知り合ったオーストラリア人と結婚しましたが、
相手の両親とうまく行かず、夫も味方になってくれず
結婚2年目にして離婚
その後6年後に再婚し、男子を授かりましたが、
産後6ヶ月目で産後うつとなり、
その後12年続いた長い鬱病との付き合いが始まりました。
家で赤ちゃんと二人だけでいるのがとても孤独で、
旦那さんが家にいない時間は一人でいるのがとても辛く、
耐えられない日々。
2年後に第2子を出産しましたが、鬱は良くならず、
見兼ねた保健婦さんが心療内科に行くことを勧めてくれました。
そこで鬱の薬を処方され、薬を飲み始めました。
薬で多少症状は和らいだもものの、
いつも心の中に黒くて思い石を抱えたような状態でした。
朝起きた瞬間、すでに心の中が重く、
不安の種火が常に心の中についているような状態でした。
そして、上の子が小5、下の子が小2の時に、
主人から突然別居したいと言われます。
それまで特に喧嘩をしたこともなく、近頃元気がないなとは思っていたけれど、
まさかその原因が私にあったとはつゆ知らず。
カップルカウンセリングを受けたり、
個別にカウンセリングを受けたりしましたが、
その時は主人も鬱状態にあり
しかも希死念慮(死にたいと思う気持ち)にまで至っていたので、
別居を受け入れるより他はありませんでした。
生きる気力を失って全て放棄したくなる
二人の子供と三人の生活が始まり
私はなかなか気持ちを立て直すことが出来ませんでした。
交通事故のニュースや、殺人事件のニュースなどを見るたび、
どうして死にたい私が死なないで、この人たちが死ぬんだろう
と思っていました。
ネットで死に方を検索したりしましたが、
痛みに耐える勇気がなく、
実際の行動を起こすことはできませんでした。
生きているだけがやっとという状態でした。
その時にお世話になっていた 子供の小児科の先生の勧めで、
再びカウンセリングを受けることになりました。
カウンセリングの途中でパニック状態になり、
そのまましばらく病院に入院したこともありました。
心の傷を癒やすことで、本来の自分を取り戻す
カウンセラーさんと一緒に
インナーチャイルドの癒しを何度も何度も繰り返し
別居の時の事だけではなく
幼少期からの心の傷を
少しづつ少しづつ 癒していきました。
時間はかかったものの、
その後もカウンセリングを続け、
また自分なりに自己啓発の本や心理学を勉強することで、
自分責めのくせに気がついて、もっと自分を大切にすることを学んだり、
自分の内側を深く見つめることで
本来の自分に戻っていきました。
私自身の体験から、変われないと思っていた自分も変われたので、
同じように悩んでいる人の力になりたいと思うようになりました。
そうして自分自身で心理カウンセリングを学び始め、
自分の感情を受け入れて自己受容していくには、
自分の感情を一旦受け入れる心の器を丈夫にしていく
その大切さを学びます。
多くの人の心を楽にしていくお手伝いをしたい
そんな気持ちから、カウンセラーを目指すようになりました。
現在は
アダルトチルドレン
HSP
対人関係(職場、家族、夫婦、恋愛、友人)
愛着障害
自己肯定感が低い
子育ての悩み
などの方々を対象に
心が軽くなって、生きやすさをもっと体感できるようになる
カウンセリングを通して、
あなたの理想の未来へと向かっていくお手伝いをさせていただいています。
ここまで読んでくれたあなたへのお願い
私のように長く悩んで欲しくない
毎日生きていくのがやっとで
日々生きづらさを感じ
どうしたら良いのかわからない
なんとか暗闇から抜け出したい
そんなあなたと一緒に
解決の糸口を探っていくお手伝いを
させていただきたいと思っています。
幸せは周りの人に拡散します。
あなたが元気を取り戻すことで
家族
友人
職場の人
周りの人にもその幸せが波及していきます。
私は日本に幸せな人をもっと増やしたい。
物理的だけではなく
心も豊かな人がたくさん住んでいる
そんな日本にしていきたいのです。
本当に生きててよかったな、楽しいなって毎日思える
安心ていいなと思えるように
一人でも多くの人に
なってもらいたい
私自身も、一人で抱え込んでいたら、今も悩み続けていただろうと思います。
だから、ここまで読んでくださっているあなたに、お願いがあります。
どうか一人だけで抱え込まないでください。周りに助けを求めてください。
一人で悩んでいないで、カウンセリングを受けてみませんか?
一歩踏み出すことで、何かが必ず変わると確信しています。